子どもとの関わり-叱らない、命令しない子育てを目指しています

𠮟らない子育て

うちは今のところ「叱らない子育て」方針を採用しています。

これは主人がさんざん叱られて辛い思いをして育ってきたことから、同じ思いを子どもにしてほしくないとの要望が強かったためです。

現在2歳で、幸い今までのところ叱ることが必要な場面には出くわしておらず、こちらの方針を維持できていますが、今後活動量が増え、危ないこともし始めたらさすがにそういうわけにもいかないと思います。

ただ、ある書籍(『気づけない毒親』高橋リエ著)で読んだのですが、昭和以前の子どもたちは一切叱られることなく育っていたが、そうして好き勝手に育った子どもたちはみんな、ある日を境に突然大人になっていったのだそうです(10代という若さで)。

当然、昭和以前と令和の今では状況が全く違うので同じようにそれで全てうまくいくということはないでしょう。道路ひとつ取っても、昔の時代と比較してはるかに危険が増えましたし、守るべきルールも多いです。また、大人たちも今ほど忙しくなく、子どものすることにいちいち目くじらを立てない余裕とおおらかさがあったと察せられます。

しかし一つ言えることとして、「わざわざ大人が叱ることによって教えなくても子どもは自分で学ぶ」ということがあると思います。

子どもは親や周りの大人に、迷惑や心配をかけようと思って何か事を起こしているわけではないですよね。そこは純粋な好奇心によって突き動かされているだけなので、できることなら危険の無い範囲内で自由に泳がせてあげたいところ。

それに、もし明らかに何かやらかしてしまったとして、悪いことをしてしまったというのはある年齢になれば理解できるものだと思います。

「あちゃー、やっちゃった…」と反省しているところに畳みかけるように𠮟りつけてしまったら、寧ろ反発しか生まれないですよね。

きっと子どもは「そんなことわかってるよ!」って思います。

命令しない子育て

「叱る」と似たようなこととして「命令する」がありますが、これもなるべくしないように心がけたいことです。

代表的なセリフに「勉強しなさい」がありますけど、これに対して素直に従ったことのある人が一体いるのでしょうかっていう話ですよね(暴力や強い言葉によって虐げられている場合を除いて)。

私も耳にタコができるくらい言われてきましたが、意味の無いどころか逆効果なセリフNo.1だと子どもの頃思っていました。

これは自分の身に置き換えて考えてみれば分かりやすいです。例えば私が英語を話せるようになろう!と一念発起したとします。そして何日か経過して、単語や発音練習など、毎日の課題にしていることを疲れているからとついつい後回しにしてゴロゴロくつろいでいるところに、「英語の勉強はどうなったの?そんなんじゃいつまで経っても話せるようにならないよ」とか言われたら「今休んでるんだよ!後でやるからほっといてよ!」とブチギレそうです。

しなければならない、した方が良いと分かっていても、なかなか自分自身をコントロールできないという経験は万人共通のものと思います。

大人よりも自制心のより効きにくいと思われる子どもに至っては、コントロールできない経験が日常茶飯事かもしれません。

自分で分かっていることを他人から指摘されるのは誰だって苦痛ですよね。

とはいえ、毎日を生き抜くのでいっぱいいっぱいで、多忙で余裕のない我々です。それこそ、今の私たちが陥っている状況でもありますよね(叱らないようにしよう、命令しないようにしようと思っていてもつい口をついて出てしまう、コントロールできていない状況)。

こんな時、「また叱ってしまった…」と落ち込む気持ちもあります。

しかし、つい叱ったり、命令してしまったりした時に、「自分だって不完全で、完璧に自分自身を御することができるわけではない」と省みることができたら、それだけで価値あることのように思います。

私も未熟で、時には守れない場合もこれから出てくるでしょうが、「叱らない」「命令しない」この二つを理想として、子どもと向き合いたいと考えています。

皆さんの中にも、こういうことを大切にして子育てをしているというポリシーのようなものがありましたら是非共有してほしいです。

 

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