はじめての妊娠は喜びよりも不安が大きかった

妊娠中

妊娠が発覚した時、まず私が考えたことは「どうしよう」

もちろん、子供は欲しかったので嬉しいはずなのですが、それよりも「職場に迷惑をかけてしまう。大変なことになった」「本当に授かってしまった。ちゃんと育てられるかな」の気持ちが先でした。

そして、妊娠を素直に喜べないなんて私には「親になる資格がないのでは…」と悩みました。

これを読んでくださっている方の中にも、私のように思い悩んでいる方がいらっしゃるでしょうか?

 

「職場に迷惑をかけてしまう。大変なことになった」

幸いにも私が今も勤めている職場は、ブラック企業でありながらもなぜか子育て世帯には優しいという謎の性質を持っています。なんせ、ブラック企業にも関わらずプラチナくるみんとかいうのに認定されているのですから。

プラチナくるみん:「子育てサポート企業」として、厚生労働大臣の認定を受けた証。全国に4826社あるようです(2024年時点)。

 

妊娠当時もパートでしたがきちんと産休育休制度があり、子育て経験ありの上司が何名もいたことからかなり精神的に楽でした。

 

しかし、繁忙期が容赦なく襲い掛かってきます。

 

妊婦さんの身体は労ってあげるべきもの。後になってから私が知ったことです。

 

私には職場に迷惑をかけているという後ろめたさがありました。

妊娠を理由にお断りした仕事もありました。

この後ろめたさをカバーするには、人一倍仕事を頑張らないといけないと思いました。

 

このため断ることができなかったのです…連日の残業を。

 

私の仕事はただでさえ劇物を扱う仕事で、本来であればそれも避けるべきことです。

しかし負い目を感じている中「できません」なんて言えるはずもなく。

 

正社員ほどではないにしても、遅い時には21時頃まで残業しました。パートなのに。

今にして思えば流産しなくて本当に良かった…。

重いものとかも普通に運んでいました。

当事者だったので、まあしょうがないかと当時は思っていたのですが、後から考えたら妊婦に無理させすぎです。おそらく、自分じゃなく他の方が妊娠されていて、私と同じことをしていたらかなり心配したと思います。

実際、同じパートで子育て経験ありのお姉さまは私を見てヒヤヒヤされていたようです。

 

産休が近づき、お腹が目に見えて大きくなってきた頃、ようやく劇物を扱う仕事から単なるデスクワークのみにしてもらえました。残業からも解放です。

その上司曰く、「大事な時期になってきたから、そろそろ劇物に暴露しない方が良い」とのことでしたが、私はそこで「えっ、そうなの?」と思いました。

どちらかというと、妊娠初期の方がそういうの気にした方が良いんじゃないの?

 

放射線の場合だと、着床前期や器官形成期、胎児前期の暴露で流産や奇形、精神発達遅滞のリスクが上がります。これらはいずれも妊娠初期~安定期頃の話です。

環境省「放射線による健康影響等に関する統一的な基礎資料(平成27年度版)」 第3章 放射線による健康影響(https://www.env.go.jp/content/900411899.pdf

 

私は考えなしだったので、全くもってノープランで深く考えずに妊娠期間を過ごしていました。

このため我が子を危険にさらしてしまった部分も少なからずあり、とても反省しています。

命を預かる身としての自覚が足りていなかったです。

過去に戻れるなら、劇物も重いものも扱わず安静にするよう教えてあげたいです。

また、私の上司のようによく分からんことを言う人もいますが、そこは自分できちんと調べて正しい知識を持つのが良いと思いました。

 

冷静に考えると、人一人を産むというのは本当にすごいことですよね。

無理をすると、流産や切迫早産などの予期しないことが起こる可能性も多分にあります。

確かに職場には迷惑をかけますが、それを許してもらえる環境なのであれば気にしすぎる必要はないと思いました。

 

妊娠したからこそ、妊婦さんの大変さを知ることができました。

今後妊婦さんを見かけたり、職場で妊娠中の方がいらっしゃったりしたら、出来る範囲で力になろうと思います。

 

また、次の子を授かることができたら、この反省を生かして無理のない妊娠生活を送りたいです。

 

「本当に授かってしまった。ちゃんと育てられるかな」

子どもがあまり好きではなかった私。

それでも自分の子どもには会ってみたいというエゴから、出産を決意しました。

しかしいざ妊娠すると、取り返しのつかないことをしてしまったと感じました。

 

同じように感じたことのある方がいたら、ぜひコメントください。

 

妊娠してから、子育てについて色々と調べてみましたが、どれを見ても自分にはとてもできそうにありませんでした。

赤ちゃんは自分で何もできない…。果たして私は面倒を見きれるのだろうか?

ずぼらで、自分のことすら面倒くさがる私に、授乳、寝かしつけ、おむつ交換や離乳食の用意などといったマメの権化のようなことが務まるのだろうか…。

子どもが好きでもないのに、自分の子をちゃんと愛せるのだろうか?

 

不安しかありませんでした。

 

それでも妊婦健診の超音波映像で徐々に成長していく我が子を見ていると、なんだかだんだん楽しみになっていきます。

 

正直なところ、出産の直前まで「自分の子」というのが自分の中で消化できていないような、実感がわかないような宙ぶらりんの感覚を持っていたのですが、出産して「自分の子」と触れ合ううちに自然と「なんかわからんけどかわいいな」と思うようになっていきました。

 

妊娠が発覚した時に考え、妊娠期間中ずっと温めていた名前を産まれてきた子につけましたが、その名前もはじめは全然しっくりきませんでした。

それでも自分が呼び、周りもそう呼ぶうちに、だんだんとそれがその子の名前になっていくような感じがしました。


新たな命というのは不思議な存在だなとつくづく思います。

そこに無かったものを生み出すわけですから、感覚が追い付かないのも仕方のないことですよね。

 

私の場合は子どもが生まれたその日から、我が子のことがかわいくて仕方がありませんでした。離れていたくない、ずっと一緒にいたいと思いました。

それだけかわいいのですから、当然お世話もマメにするようになり、当初抱えていた悩みは幸いにも杞憂に終わりました。

私はすぐに自分の子を愛することができましたが、ここでもし自分の子をかわいいと思えなかったら…そう考えるとぞっとします。

しかし世の中にはそのことで苦しんでいる方が少なからずいるのですよね。

もしお心当たりのある方がいらっしゃいましたら、コメントを残してくださると幸いです。

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